―荒ぶる神々のほうへ―

​ 幼少時、埼玉県にある見沼田んぼにイナゴを取りに良く遊びに行きました。広大な田園地帯で見沼には龍神伝説がありますが、それよりはるか太古、この地の地主神は〝アラハバキ神〟(荒脛神)と言う古層の神と言われています。この神は蛇神という説もありますが、古伝の一つ東日流外三郡誌(つがつそとさんぐんし)のアラハバキ神のイメージには遮光器土偶が使われています。東日流外三郡誌は一般的に偽書とされていますが、完全な創作ではなく何か別の古い書物、要素を参考にして解釈され記されたものだと思います。

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 定説では縄文時代は一万年ぐらい続き外部の影響をあまり受けず、内部熟成された様な形のデフォルメがあります。独自の造形になっており大陸の造形感覚とは全く異なった印象をうけます。縄文は手造り(手の力)をとても大事にする感性を感じます。

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          東日流外三郡誌のアラハバキ神の図像

※出典:「東日流外三郡誌(市浦村資料篇上巻)」p110,111から引用

     昭和57年7月10日復刻印刷  発行者:市浦村史篇纂委員会 

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 恐らく縄文に通じる古代の神々はアラハバキ神以外にも沢山存在し、歴史の古層に埋没し忘れ去られてしまったのだと思います。

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​ 弥生時代には既に大陸の龍などのイメージが日本に渡って来ており、日本固有の造形は縄文文化に色濃く残ります。蛇神やお産の神、山海の神、星の神など太古の日本には様々な神々の形があったのだと思います。

 かつての見沼の神はアラハバキ神でしたが氷川神社(出雲系)が見沼の地に移って来た時、元々の見沼の地主神である古代のアラハバキ神に敬意を表し客人神(まろうどかみ)として迎え、今でも氷川神社の中でお祀りされております。

 氷川神社の祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)とされています。氷川女體神社の方には見沼の龍神も祀られております。

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 氷川女體神社。須佐之男命の奥さんの奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)がお祀りされております。住処を追われ、この地にある池に見沼の龍は移り住んだと言われます。

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 この見沼に龍神を取材に行きました。強風が竹藪を煽ります。見沼代用水は江戸時代に整備された農耕用水です。この用水沿いの萱原のなかに見沼の龍神が潜んでいるそうです。

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 見沼の龍は治水工事の時、住む所が無くなるので水田開発はやめて下さいと、訴えに現れたと言われます。

​見沼代用水。

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 水辺の生き物も近くで見ると巨大に感じます。画像で見る事に慣れてしまっている現代人にとって実際に現物を見る事は意味が大きいと思います。それは作品鑑賞でも共通している事だと思います。

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 そして見沼の龍が姿を現しました。冬の風の吹き抜ける武蔵野に巨大な萱の龍が横たわり大蛇の様に鎌首を擡げています。龍はとても気性の激しい性質の神様だと思いますが、萱のせいか柔和な感じがします。

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 手作りの面白さがあります。竹の切り口で出来た赤い目が印象的で実際の場所で、このぐらいの大きさの龍、と具体的に説明されると解りやすく説得力があります。

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 この見沼の龍の場所にあったポストにパンフレットが入っており、そこに金子神社と記された箇所を見付けました。加治丘陵のある入間市に鎮座されていて、ここはお参りしなければならないという思いに駆られました。見沼の龍に導いて頂いたのかも知れません。

 埼玉県の入間市西三ツ木にある金子神社に向かいました。その建立時期は不明ですが、徳川中期には〝天王山の社〟と記され、奉納される西三ツ木ばやしは大変有名との事です。

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金子神社。

 荒ぶる神、須佐之男命がお祀りされております。鬱蒼とした森の中にひっそりと鎮座されております。

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 お参りする時の神拝詞(いんぱいし)は〝払い給い清め給え神ながら奇しみたま幸え給え〟(三唱)との事です。風がザワザワとしています。

 金子神社の祭神はもともと牛頭天王でしたが後に須佐之男命と変化したそうです。牛頭天王は疫病の神ですがお祀りすることにより疫病を鎮めて頂ける除疫神です。かつては山の神もお祀りしていたらしいですが、そのお社は消失し石組みだけが今も残ります。

 牛頭天王とは祇園精舎の守護神で須佐之男命と習合いたしました。平安時代には須佐之男命は祇園感神院と呼ばれ祇園大明神も近しい神様でこれらの神々は疫病や魔を払うとされ信仰を集めています。

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 武蔵七党の一つであり桓武平氏の流れをくむ村山党金子氏は入間が拠点地とされています。金子という名前は金屋子神(かなやこがみ)という製鉄の神から来ている説があり須佐之男命の〝すさ〟も製鉄関係を表していると言われます。鉱山や金属関係の方々が金子氏の源流と思われます。

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 神生みにおいて伊邪那美(イザナミ)の神が火の神、加具土命(かぐずちのみこと)を生み火傷を負い苦しんでいる時、吐しゃ物(たぐり)から発生したのが金山毘古神・金山毘売神(かなやまびこのかみ・かなやまびめのかみ)そして同体とされる金屋子神を三神合わせて金山大明神と呼ばれます。製鉄関係の方が信仰する神様です。

 人は自分に近い場所、本質の部分の要素が一番力を出せ、無理がないと思います。自分から遠い所のものどうしても興味が湧かないというか力が出ません。

須佐之男命や牛頭天王などその関係、習合している神々を絵画で表現したいと言う思いが湧いてきました。そこには自分のルーツに関係している世界を堀り下げ探求する様な面白さがある感じがします。制作活動の一環として源流に遡るのも自分を知る大事な要素かも知れません。

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金子神社の近く竹寺(天台宗・八王寺)があり牛頭天王が祀られています。こちらもお参りさせて頂くことにしました。

 須佐之男命を描かせて頂くには、その荒々しい迫力を表現するには体全体というより顔をアップして描いたほうが良いのではと思うようになりました。

 

 金色の目や赤い隈取、激しい色使いなど、もともとある須佐之男命の面のイメージをさらに過剰に何かを加えられたらと思います。剣を噛んだ構図が思い浮かびました。

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 迫力のある牛頭天王(牛頭明王)がいらっしゃいます。中国で造られ奉納されたものらしいです。

 牛頭天王や祇園大明神は斧を持っている所が大きな特徴と思われます。頭が牛になっていたり斧を持っていたり共通のものはありますが神々の形は変容していきます。それは人々の祈りに対して適したお姿になるのではないでしょうか。

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 牛頭天王のドローイングイメージ。牛頭天王は密教、道教、陰陽思想の習合を経て日本に伝わり蘇民将来伝説と結び付き須佐之男命と同体とされ〝天王さま〟と呼ばれます。

 疫鬼を喰らう荒々しい性質の神様なので須佐之男命と習合するには性格が合っている様に感じます。狂暴な神々は魔と紙一重のような印象もうけます。恐らく、強力な力に対し人間の方が聖や魔と区分けしてしまっていて神々の世界に善悪の差は無いものなのだと思います。

 辟邪神である天刑星(てんけいせい)に牛頭天王は食べられていますが天刑星もまた牛頭天王と習合し同体とされました。

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 茅の輪くぐりがあります。厄除けの輪であり、蘇民将来が茅の輪を付けていれば疫病を避ける事が出来ると教えたことが由来となっております。

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 この彫刻も牛頭天王でしょうか。アジアというか異国の雰囲気がある造形です。インドの神々の木彫レリーフに雰囲気が似ています。

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 牛頭天王は祇園精舎の守護神でインドの神ですが、その昔、日本ではカンボジアのアンコールワットを祇園精舎と思っていた時代もあるそうです。

 

 屋根に苔むすその本殿では牛頭天王とその八王子が祀られていると言います。ご利益は疫難消除、除災招福、出世とされます。

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​須佐之男命の制作風景。

 顔の箇所で一番強い印象を持っている場所は眼だと思います。その眼の力を発散させる意味で髪の毛や髭、眉毛を外側に送る形にし、眼力の増幅装置の意味の模様を描きました。

 制作活動の一つの方向性として自分の先祖の源流やルーツをめぐる制作があると思います。興味も湧いて来ると思いますし、祖父母に話を聞くと以外な発見があるかも知れません。自分の近しいリアルな場所から力を出し、制作に繫げる事は自己の本質に迫る行為でもあると思います。本質に沿った事こそその人にとって一番やるべき事であり自分を活かす行為だと思います。