​―仙縁石伝説―

 山形県の山中に仙縁石(せんえんせき)と言う巨石に関する伝説が残っています。南陽市萩赤山に安政5年(1858年)に高橋宥明上人(たかはしゆうめいじょうにん)と言う神通力を得た方が出生しております。上人は仙縁石で腹痛を起こした老人に会い「この峠の上まで背負って登って欲しい」と言われ負って登ると玉を授かり、その老人は弘法大師(空海)だったという事です。以後上人は神通力を授かり、各地を放浪し多くの病人を治癒させたと言います。

  仙縁石とはどんな所で何かのイメージが浮かぶでしょうか。ここを訪れてみる事にしました。まず上人が眠る寿仙寺にお参りしてから仙縁石に向かう事にしました。どんな事が起きるのか、何を思うのか、何かの芸術を見に行く様な気持ちになっていましたが、それは多分違うのだと思います。全く要素の異なる反応が起きている様でした。

 寿仙寺にはアショーカの獅子柱頭があります。四頭の獅子が背中合わせになっています。獅子はしばしば釈迦を象徴し、インドの初期の彫刻でインドの国章にもなっています。狛犬などの獅子の造形とは異なり、リアリティがあります。

 高橋宥明上人と言う実在の人物がかつており、その伝説の岩に行くのは、物とか場所ではなく何か人に会いに行く様な気持ちになっていた気がします。そこに誰かが居た訳ではありませんが、抵抗し難い緩やか流れがその時空にはあった気がします。

 試されているとか、何かをお願いするというものでもなく、そこでごく自然にスケッチしました。でもスケッチなどもする必要も無かったのかも知れません。何かを得ようとして掴んでみるのでなく、手放してゆく必要があるのだと思います。それに危機感や戸惑いを覚える事も不思議とありません。手放して降りてゆく道筋では無いと思ったからです。もっと違った力がその空いた方の手にはあると思える様になりました。

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  奥深い山道を進んで行き、この道はその昔、南陽の方が上山への行商の為、良く使われたそうです。仙縁石の付近まで行く事は出来たのですが、正確な場所が解りません。それらしき小径が一筋あったので、徒歩で進んで行きました。

 大分すると、鳥の鳴き声でしょうか。〝ポポ、ポポ…。〟と言う声がします。鳩の鳴き声ではないようです。東北地方では〝八尺様〟と言う背の異様に高い妖怪の話しがあり、〝ポポポポ…。〟と声を出すそうです。山中で聞くと不気味な雰囲気があります。八尺様が出たとなると夢がありますが、それは筒鳥(つつどり)の雄の繁殖期の鳴き声だったのだと思います。

熊出没注意の看板。岩をも切り裂く様な表現

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  しかし、その怪音〝ポポ、ポポ〟の次に聞いた〝音〟は今でも何なのか解らない音でした。自分の内側から聞こえてくる内臓が動いている音なのかと最初思いましたが、ちょっと違う感じです。猛獣が低く唸っているような声です。二、三度ぐらいは聞こえたと思いますが、この場所は熊も出没するので、これはちょっと危険だと言う思いに駆られました。そのぐらいのリアリティがある声で、身の危険を感じ道を引き返しました。

​ 山中に現れた巨大な影。八尺様とはこんな感じなのかも知れません。

 

 人間は不思議な動物と遭遇したり、原因の解らない現象を目の当たりにしたりして、普段の常識が揺らいだ時、ようやく異界の扉が開き始めるのだと思います。疑ってばかりだと創造性の少ない感性になってしまうのだと思います。

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 しかし創造性の右脳ばかり機能させていると感覚的になってしまい社会生活が送れなくなってしまうので、右脳も左脳もバランスが大事なのだと思います。

 視力が弱まり、眼からの情報が著しく少なくなってしまうと、脳はそれを補おうとして幻覚を見せてしまうシャルル・ボネ症候群と言うものがあります。霊的なものを見る目的で故意に目を傷つける時代もあったそうです。

 

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  また、この近くに狸森(むじなもり)と言う所がありこの森はその昔、ある娘が隣村に嫁に行く際、森の中に入り失踪し婿に化けた狸(むじな)と〝むさかり〟(結婚)をし、その後諦めきれずに森の中を探し回っていた娘の父の前に彼女は現れ、背中の子供を見せ今は狸と一緒に幸せに暮らしている、と娘は語ったと言う伝説があります。それ以来その森を狸森と呼んだそうです。

  狸(むじな)とは貉(むじな)とも書き、狸(たぬき)なのか穴熊なのか狐なのかはっきりしない曖昧な小動物を指す地域があります。ほんの数十年ほど前、物置に用事で入ったお婆さんが貉を見た話があります。不思議な事にその貉は頭の上に手を上げていたと言います。

 またその地域の茶畑で同じ所を通るたびに鳥肌が立つので、それは貉が潜んでいるからだと言われています。

  そのお婆さんによると昔、深夜遅くまで仕事をしていると、外の藪の中から〝寝ろは~〟と言う声が聞こえて来ると言います。〝寝ろは~〟とは〝もう寝なさい〟と言う意味だそうです。

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 もとの道に戻り、付近を良く見てみると立て札が立っていました。この辺りの岩石には石英が良く含まれているようです。その昔、山形で干ばつが起きて水争いが起きたそうです。そして水が枯れてしまい泥水しか出なくなった時、葉山から出土する水晶を水源地の山に埋め水の浄化をしたと言う伝説も残っています。

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​ この山道の先に仙縁石があります。人は何かのタイミングの時に、何かが起こり出すのだと思います。それらを生み出す最初の力は自分の気だと思います。その気持ちに行動が合わさり外界が呼応して物事が起きるのだと思います。行動に移す前の気がしっかりしてないと弱い状態です。苦しみや感情を溜めバネが縮んでいる状態になっている状態が一つのパワーだと思います。ネガティブでもポジティブでもエネルギーであり、そういった力を心身が潰れない程度のエネルギーで頂けることは有難い事なのだと思います。

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​ 巨大な仙縁石が見えて来ました。噴火で飛んできたとは思えません、何処かから転がってきたのか、森の中に一つだけ岩があるのが不思議です。

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 仙縁石。森の中に重々しく鎮座しています。神様は磐座(いわくら)に降りると言われますが、弘法大師などの仏教の霊的存在も巨岩に降り立つのかも知れません。

 

 お供え物のお煎餅などのお菓子が何者かに食べられており、やはりこの一帯には何かが潜んでいるようです。

 年齢のせいなのかも知れませんが、多分頑張ってもたかが知れています。握った手でなく開いた手に何がが入るのだと思います。手放す行為は消極的な事ではなく新しい何かを握る理(ことわり)なのだと思います。

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 握っていたものを手放すのは、勇気がいると思います。これは大変に苦しみを伴う不安なものだと思います。しかし、いくつかの要素が揃ってしまうと人は自動的にそうなってしまうようです。開いた手、開手(かいしゅ)に入る希望を見出す生き方があり、それは決して降りて行く道では無いと思います。また、場で学ばせて頂くと、その場に何かを決定する力があると思います。

 苔むしたこの仙縁石をスケッチしてみました。この場所に腹痛を起こした老人に変身した弘法大師がいて上人に神通力を与え上人に「弘法、弘法、高野山よ、一度尋ねて参れ」と言われたそうです。

 神通力の種類は瞬間移動、水上を歩く、遠方の風景を空間に映し出す、投筆(筆を投げて絵や文字を書く)など多種にわたると言います。

 

 開手による軽やかな感覚が生命力を吹き込むと思います。頑張らない努力の仕方があり、心身に負担が少ないのです。  

 神通力、超能力の様なものは芸術家もインスピレーションという形であれば存在するようです。どうその力を増幅するかが大事な所で、呼吸力も大事な鍵だと思っています。幼少時、小さな恐竜の人形で遊んでいて、その世界に入りすぎて呼吸が止まっている自分に気付いた時が何回かありました。何かの病気ではないかと親に言いに行ったのですが、相手にされなかったと言う事がありましたが、呼吸が極端にゆっくりになっている状態の時は過度の集中力を生むのだと思います。年齢と共にその呼吸は失われましたが、あの呼吸をまたしてみたいと思っています。その時どんな絵画になるのか、見てみたいビジョンの一つです。

 

 〝手放す事〟と〝呼吸〟。ここに次に繋がる大事な要素であると言う思いを得る事が出来ました。