​―金沼の飛龍伝説―

 山形県庄内町深川に龍伝説が存在します。昔々、この辺り一帯は最上川の流れの変動により大小様々な沼がありました。その沼の一つ金沼に悪い飛龍が潜み、村人は秋になると毎年若い娘一人を人身御供としていたそうです。これを拒むと飛龍は田畑を荒らし回り悪事を働いたので村人は泣く泣く従っていました。そして庄屋の娘の番になり、娘は信心深く観音経を読み一人悪龍の来るのを待ちました。やがて凄まじい雷鳴とともに飛龍が現れ、その角は金色に輝き口からは真紅の炎を吐き襲いかかりました。しかしその瞬間、観音経の功徳により飛竜の角や牙は砕け、金峰山へ逃げ去り改心し善神(良い龍)となりました。ご利益は五穀豊穣と家内安全だと言われます。

飛龍伝説の残る森のある金沼。田園の中にぽつんとあります。

  飛龍とは翼の生えた天空を飛び交う龍の事で通常の龍の形とは異なります。西洋では似たものにワイバーンと呼ばれる種類のドラゴンが伝わっており飛翔能力に長け前足が翼になっています。

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 空中の龍や飛龍のイメージ。龍神は宝珠を持っています。蛇神との違いはその玉を持っているか否かで、宝珠とはある種のエネルギーの象徴だと思います。龍神も蛇神も水神としての意味合いが深く、習合して龍蛇神としての信仰も残ります。龍はわりと人々に好かれますが蛇は見た目が気持ち悪いと言う方もいてあまり好印象を与えない時があります。それは決して悪い存在だと言うわけでなく人間がかつて原始的な哺乳類だった時、恐竜などの爬虫類を恐れていた時の記憶の名残なのかも知れません。

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 民俗学者や人類学者でもない画家がどのようにフィールドワークしたら良いのか考える所だと思うのですが、制作目的とした個人的な心情を大事にしたもので良いと思います。

  現在の金沼。水が干上がっていましたが到着するとポツリポツリと雨が降り始めました。また鳥が沢山いる様子で、野鳥が多い場所は自然の気の巡りが良いという説があります。

  仏教の力で龍が改心するという説話はインドの蛇神ナーガが釈迦の悟りの深さに感服し仏法守護の神として仏教に取り入れられた伝説が本になっているとされます。長い年月をかけてインドから伝わりこの地に合った伝説に変化したと考えられます。

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  本殿の龍の彫刻。波の動きが強調されています。この地域の夏宵祭りでは巨大な飛龍が登場し飛龍囃子にあわせ踊り、くねります。

  八幡神と金沼権現が祀られているお堂(裏手が金沼)

 金沼神社の阿吽の狛犬。狛犬のルーツは古代インドの神仏の両脇に置かれた門衛神の獅子と言われています。阿吽はこの世の物事の始めと終わりを意味し相対するものと言われています。 

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      黄金に輝く飛龍のイメージ。

 東洋の龍は中国において始皇帝の時代以前から国お輿の活力となり皇帝は龍の力を操れるシャーマンでもありました。五本爪の龍は皇帝の象徴となり朝鮮では中国の権威を尊重して四本爪となりました。日本では隋、唐の影響で三本爪が主流となり日本の土着の水神である蛇と習合し日本特有の龍のイメージが造られていきました。

 

 水神である龍を最上川に重ねると川の氾濫を龍が暴れ田畑が荒らされる様に重ねられます。人身御供も氾濫を鎮めるために行っていたとしたら話の辻褄が合います。飛龍とは荒れ狂う最上川のメタファーだったのかも知れません。

 現代的な龍の解釈に人の思いや想念の集積した形も龍とされる場合があります。金沼の飛龍は自然の猛威に付け加え人間の念が影響している様に感じました。人は自然の気よりも人間の想念(気)に反応しやすいと思います。その気を意識する事により、感応が引き起こされ心身に影響が出るのです。これを逆手に取り創造的なものに積極的に感応していけば活発な芸術家になれるかも知れません。制作にあたり飛龍である事から翼を強調する事と金沼に潜んでいた事や角が金色の事から、黄金の龍のイメージで平面に置き換えました。