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​―龍神沼伝説―

 目に見えぬ存在でありながら古来から絵画や彫刻にされ続け各宗派を跨いで存在する水神である〝龍〟。川の流れや天に立つ水蒸気の巨大な循環によく象徴される龍は形態の似たものにその姿を例えられます

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月の光を浴びて何体もの龍が群れで同じ方向を目指すかの様な雲。

 画家の中でも日本画家がよく龍の絵画を残しています。私も龍のはっきりとした明確なビジョンやイメージを見てみたいと何時しか思う様になりました。想像力でどこまで龍の姿に近づけるでしょうか。不可視の存在を描く者にとっては最も力を入れたい霊獣の一です。

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 龍は架空の存在に思われがちですが、山形県西川町の龍神沼において1976年5月21日付の山形新聞で〝竜神 天を舞う〟と言う見出しで龍の目撃報告がされました。勿論本当の龍ではないと思いますが、何か得体の知れないものが飛んでいたのは事実のようです。

 龍神沼とはどんな所なのでしょうか。まず、近隣にある月山・出羽・湯殿山三神社にお参りしてから龍神沼に向う事にしました。画家にとって、有名な場所だから行くのではなく何か自己の制作に関係がありそうだから行くという事で良いようです。関連があれば普通の道端や林、何にも無さそうな所でも良いと思います。逆にこちらが望んでもご縁の無い所には何故か行けない、たどり着けない事があるそうです。

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 入り口に大天狗と烏天狗の大きなお面があります。天狗さんがいらっしゃる事からも、山岳信仰や修験道の神社だという事が伺えます。何かを一対二極にする事はシンメトリーにもつながり、客観芸術との関連性を連想させます。

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 手水舎には亀が水を吐き出しています。リアルな造形が目を引きます。神獣の像が水を吐くアイデアは世界中で使われています。

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 本殿には龍の彫刻があります。白い色の木材に赤だけの着彩で素材を生かした美しさが迫力と共に迫まって来ます。神仏習合の神社で修験道伽藍の実態を多く残しており修験道の建築物として大変貴重との事です。

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 うねる口や髭、波が躍動します。絶えず視線を動かされ、その緩急のリズムがダイナニズムを呼び寄せます。日の差さない用水路や沼で釣った鮒やクチボソなどは何故か白みを帯びている様に思える事がありましたが、この神社の龍の彫刻はそんな印象を持ちました。

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​ 獅子の彫刻も力強く、眉毛が眉間に刻まれた皺のようで威圧感を発っしています。全て曲線で造られていて流れる様な躍動感を生みます。

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 建物の内部にも天狗のお面がありました。奉納されたものの様です。修験道は山中を長時間歩行したり、特徴としてとても体を使う宗派だと思います。天狗もフィジカル的なものが得意らしく、その昔に天狗から武術を授かった伝説もあります。現代においてもある社で深夜、古武術の先生がお籠りをしていると山伏のような草履を履いた髭ぼうぼうの大男が現れ「かかってこい」と言われ稽古をしたら物凄く強い。後にあの人は天狗だったのかも知れない…。と言う話があります。

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 太い一本柱には大黒様と恵比寿様が祀られております。インド発祥の大黒様と神道の恵比寿様が一緒にいらっしゃる所が神仏習合の表現の多様さなのだと思います。神様は一柱、二柱…。と数えますが柱には神が宿り、それは三内丸山遺跡の掘り立て柱建物ように縄文時代から伝わる感性なのかも知れません。

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 ここは台所が近いので、この神様は竈神(かまどかみ)でしょうか。ユニークなお顔をされています。火の神であり家の守護神です。

 神社の参拝を終え、付近にある龍神沼に向かいました。1976年に目撃された龍らしき物体の特徴は龍神沼上空を飛び回り体長約4メートル、太さ30~40センチで蛇の様な姿で黒い色をしていたそうです。天候は風もなく鳥がビニールをくわえて飛んでいた様なものではないと言います。一時間以上もその物体が目撃されていたと言いますから良く観察できたはずなのですが、正体は解らず不明の様です。前年の75年に近隣の大沼で大蛇騒動も起きており謎は深まるばかりです。

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こんもり暗い森の中に龍神沼があります。

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鏡の様な龍神沼が見えて来ました。

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 静まり返る龍神沼。…昔々、ある所にある沼の主とされていた龍がいました。龍は村の娘を一人さらい沼に潜り込みました。その娘の父(元武士)は怒り、沼に潜り龍に刀で切り付けました。しかし龍を逃してしまい、怒りが収まらない父は栗の木の皮を剥き沼に沢山投げ入れ栗渋で攻めました。耐えきれなくなった龍は牛首に変身し飛び去り逃げました。

 しかし悪事を働いてしまった龍はどこの神様にも咎められ落ち着く場所がありません。その時、上空から綺麗に澄んだ龍神沼が見えました。これは神々の慈悲と思い、龍神沼に降りそのまま主となり改心しました。干ばつの時には雨を降らし、長雨の時には晴天にし稲作と養蚕の守り神として世の為に尽くしました。そして文政13年(今から約170年前)に龍王神社に祀られる事になりました…。と言う伝説が残っております。

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 涼しい風が吹き抜けます。時より魚が波紋を造りゆっくり泳いでいます。荒々しく厳しいイメージを持っていましたが、龍とはもしかしたら穏やかなのかも知れません。人間にも色々な性格がある様に様々な性格の龍がいるのかも知れません。静かな空を映した水面を見て何か感じようとしてみましたが、あまりにも穏やかでとっかかりが無く想像しがたいものでした。芸術家と言えどもゼロから何かを生み出す事は出来ないと思います。何かの要素を増幅する事が表現になると思います。もし鏡の様に自分を映し出されてしまったらこちらが先に笑うしか手はありません。

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 取材を終えて数日したら神様に仕えている龍や人間の心身を治療する龍のイメージが湧きました。その場所に行って瞬時にインスピレーションが働き映像が浮かぶと言う画家もいると思いますが、時間をおいて一回寝かさないと思い浮かばないタイプいる様です。後者の人は焦らずその時が来るのを待ってあげても良いと思います。

 

 龍と言う霊的な存在がもしいるとしたら頭で考えているだけでは物語の存在だと思います。何かを実践し続ける事によりその力が少しづつ理解できてゆく自然の力なのだと思います。それは多分、宇宙にまで広がっている何かの法則で万物を生かすように生かすようにと働くものなのだと思います。

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