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―河童と牛頭天王伝説―

  河童(河太郎)は日本の湖沼や川に住む代表的な水怪です。水辺の深場や淵は主(ぬし)の潜む所と畏怖されてきました。本州以外でも北海道では魚族を支配するミンツチカムイ。奄美大島では水の精霊ケンムン。沖縄ではガジュマルの精霊キジムナー。(他にも多数)など日本各地に似た妖怪が伝わっています。未だに河童の目撃談まであり、人間に良く悪戯をする水辺のトリックスターと言えると思います。

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   山形県上山市の石崎神社では毎年かっぱ祭りが行われています。胡瓜をお供えする事から〝かっぱ神社〟と言われ、地元の方のお話では夏野菜の初物の胡瓜を供える風習がもとになっているのではないか、と言うお話で胡瓜を〝かっぱ〟と言うのでその名前が付いたのではとの事です。江戸中期、流行していた病の平癒を祈願して牛頭天王、通称〝お天王さま〟を勧進して建てたとされます。地元では〝オデンノ様〟と呼ばれ親しまれています。牛頭天王と同一とされる須佐之男命が御祭神となっております。

 牛頭天王は疫神であるともされ河童を眷属に持つともされます。宮城県の伝説に戦に敗れ追われた牛頭天王が胡瓜畑に身を隠し命拾いした為、その命の恩人の胡瓜を食べる事も造る事も禁じたと言うものあり、胡瓜のお供えや河童との関わりを感じさせます。

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  京都の7月の祇園祭では牛頭天王が御神輿で登場し、その月は胡瓜を食べてはいけないとされます。

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  7月15日の上山のかっぱ祭りの当日は河童は水の妖怪のせいなのか必ず雨になると言われています。雨天決行で御年配の方より高校生などの若者が中心に訪れる事が多く若い活気があります。

  お祭りにかっぱと言う名が冠される様に河童は最も日本人に馴染みのある妖怪の一つだと思います。そのイメージはしばしば水辺で使われています。

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  水難事故を呼びかける河童の看板。子供にはとても怖い。

  かつて日本画家の小川芋銭(1863~1938)は魑魅魍魎への関心を抱き河童の作品を多く描き〝河童の芋銭〟の異名を取りました。身近な妖怪や精霊のイメージからのインスピレーションは時として画家の創作意欲を掻き立てます。神仏の様に神々しくもなく、悪魔の様に邪悪でもなく、しかし不思議なエネルギーに満ちていて趣があり、これが妖気と言うものなのかもしれません。

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  天狗や妖狐、鬼のイメージが山の畏怖やあやかしの注意の為に実際の危険を促す図像として使われる事はほぼありません。しかし河童のイメージが実践的な場で使われているところに現役の妖怪を感じさせます。

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山形県髙畠町のまほろば河太郎一族の像

  まほろば河太郎は最上川上流の松川の淵(よしぶち)に潜んで少々の悪さをしていましたが、反省し「これからは一切の悪さはしません」と言う詫び証文を村人に書いて、長い旅に出ました。しかし道中、髙畠の地が恋しくなり改心し「まほろばの里づくり」の手伝いをしようと勇気を出して髙畠に戻りました。一年が過ぎた頃、「そろそろ身を固めては」と助言をもらい岩手の遠野より「つね」と言う気立ての良い河童のお嫁さんを頂き翌年には三つ子が出来ました。その年に一家で遠野に里帰りし歓迎を受け長女だけは遠野に残り、髙畠に帰った親子四人は引き続き里づくりに励んでいるとの事です。

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 かつては氾濫により多くの人命を奪う河川のメタファーは龍や大蛇でありましたが人間の治水工事の技術が高くなり水流をコントロールできる様になって来た時代は水の恐ろしさのメタファーが河童になり小規模の危険に置き換わったと言う説があります。やがてその河童の恐怖も薄れ、実存よりもキャラクターの要素が強くなっていったと考えられます。今日それでも目撃例があると言います。河童という形の空洞のある舞台装置さえ整えば人はその空洞にやはり河童を見てしまうのだと思います。妖怪であってもそのリアリティは熊や羚羊、狐狸が時より自然の中から姿を見せるのと同じぐらいのものなのだと思います。

岩手県遠野の河童渕の河童像

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